1年前のこの日『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』に救われた話

■『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』の発売から1年

2017年3月3日

ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』はNintendo Switchと共に発売された。

発売直後から国内外を問わず世界中のゲームファンやクリエイターに大絶賛され、数々の著名な賞を受賞したことは記憶に新しい。

『ブレスオブザワイルド』の優れた点は既に多くの場所で触れられてきたし、何よりプレイした人には数々の賞賛の言葉よりも自身の体験がこの作品の偉大さを雄弁に語ってくれていることと思う。

 

それでもなお、発売から1年がたった今、『ブレスオブザワイルド』について書こうと思ったのは、この作品とって私に何をもたらしたのか、私にとってどういう存在であったのかを明らかにしておきたいという思いがあってのことだ。ゲームシステムの優れた点を語ることは他の方に譲り、自分にとっての『ブレスオブザワイルド』について記述し、この偉大な作品を振り返りたい。

 

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Nintendo Switch版とWii U版の同時発売となった

  

■1年たっても色あせない『ブレスオブザワイルド』

『ブレスオブザワイルド』が発売されてからというもの、それはもう毎日毎日夢中で遊んだ。発売日には有給休暇を取得した。仕事は定時で片付け帰宅した。妻からゲームで遊んでばかりねと呆れられないために、家事を率先してこなした。習慣となっているトレーニングも、さぼるうしろめたさを感じつつプレーするのを避けるためいつも以上に真剣に取り組んだ。この素晴らしい作品を存分に味わい尽くすためにゲーム外の環境を整えないことは大きな損失になるとわかっていたからだ。意識してそうしたのではなく、『ブレスオブザワイルド』を万全の状態で楽しむために自然とそうなった。あの時期、自分は確実に『ブレスオブザワイルド』に恋をしていた。

 

当時の自分のTwitterを読み返すと『ブレスオブザワイルド』への言及は存在するものの、ゲームに対する熱量と比較して驚くほどその量は少なかった。熱に浮かされている自覚があっただけに、この情熱が冷めた時とのギャップが恐ろしい・言及が盲目な絶賛ポエムとなるのではないかという恐れから自重していたのだ。実際、絶賛のツイートを書いては消し書いては消しということをこの頃は毎日のように行っていた。

 

では1年たった今、発売時に抱いた「『ブレスオブザワイルド』は今後のAAA作品に求められる水準を数段引き上げた」、「ゲーム史に残る大傑作だ」といった感想は今の視点からどうか。当然、当時と変わらない。1年という時の洗練を経て熱狂から覚めた今でもなおこう言える。「ありがとう『ブレスオブザワイルド』。素晴らしい作品だ」と。

 

記事のタイトルとした「『ブレスオブザワイルド』に救われた話」というのはなにも、自分の乾ききった精神に『ブレスオブザワイルド』が潤いを与えた、おかげで人生が充実したという類のものではない。実際問題として長年の間、自分の中に残っていたある部分が救われたというお話だ。それを話すためにはゼルダを含めた自分のゲーム体験を語ることを避けられない。長くなるが、ここまで文章を読んでくれた奇特な方のうち、私のゲーム体験に興味を示してくれたさらに奇特な方はお付き合いいただければと思う。

 

 

■自分のゼルダ体験の原点となった『神々のトライフォース

ファミコンブーム直撃世代でもなく、当時それほどゲームに熱心でもなかった自分がなぜこの作品を手にしたのかはよく覚えていない。同級生に勧められて存在を知り、雑誌等で目にするうちに購入を決意したような記憶がおぼろげにあるだけだ。

しかし、プレーした時の衝撃ははっきりと覚えている。不穏なBGMと雷雨に包まれて物語は幕を開ける。おっかなびっくり歩みを進めハイラル城に侵入したところで視界が明るくなり、荘厳な音楽に出迎えられた。これからの壮大な冒険を予感せずにはいられない演出に一気に引き込まれた。

 

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驚きと発見に満ち溢れた神々のトライフォースの世界

 

クリアまでの数か月、この世界に夢中になった。コミカルなキャラクターに魅了された。ゲーム的お約束を知らずに単純な謎解きにも頭を悩ませた。小学館から発売された公式ガイドブックも.金色の表紙が擦り切れるほど何度も読んだ。1,000円以上した石ノ森章太郎のコミカライズも単行本を購入して読んだ。このゲームを教えてくれた同級生と、このゲームを題材にした自作のゲームブックを互いに見せあったのも今となってはいい思い出だ(二人とも完成には至らなかった)。

 

神々のトライフォース』の何が最も小学生の自分を魅了したか。それは世界が広がる喜びとその世界からの応答だ。ダンジョンでキーアイテムを手に入れるたびに行動範囲は広がり、自身の分身であるリンクの遊び場は増えていった。数々のアイテムを手にし、遊び場が増える度にリンクはこの世界への干渉の手段を増やし、それを実践してく。干渉と大層に言うものの、その内容はやれ今度はあっちの木にぶつかるだの、やれあっちの草を刈るだのやれようやくレベル3になったマスターソードを闇雲に振り回すだの他愛のないことだ。しかし、このゲームは子どものそんな他愛のない遊びにしっかり応えてくれた。木にぶつかればあそこの木からはリンゴが落ちる、草を刈れば蜂が出てきて襲われる、レベル3の剣を振ればこれまでと違った重厚な風を切る効果音が自分が強くなったことを教えてくれた。当時の自分には大好きになってしまったハイラルの世界が、自分の行動に応えてくれるのがたまらなくうれしかった。いつまでもこの世界にいたくてクリアした後もハイラルを駆け回り、2週目・3週目と周回プレーを重ねていった。

自分のゼルダの原体験となるとともにゲーム上の探索と試行錯誤の楽しさを教えてくれた大事な作品である。

 

 

■到来した3Dの時代、そして箱庭世界での探索の楽しさと可能性を教えてくれたあのタイトル

ゼルダの伝説神々のトライフォース』に魅了されて以降は、探索と試行錯誤の楽しさの欲求を満たしてくれるゲームは現れなかった。ほかにも素晴らしいゲームはたくさんあり、『神々のトライフォース』はジャンルではなくそれ自体として素晴らしかったという認識もあってか似たようなゲームを他に求めるという意識も薄かったように思う。ゲームもハードの進化でポリゴンを多用する作品が多数登場し、劇的な変化を遂げつつある中で、その変化と進化に目を奪われるばかりだった。

 

しかし、2000年もあと数年にせまった1990年代後半、期せずして3Dの箱庭ゲームとして『神々のトライフォース』と同種の感動を与えてくれた作品が登場した。

そのゲームは3Dでありながらロックオンシステムを機能的に作用させることでカメラワークの問題をほぼ解決し、当時としては広大な世界を自在に走り回ることを許容し、マップ上に様々な遊びを組み込んだ。当時強く思ったものだ「ああ、これは『神々のトライフォース』で味わったあの楽しさと同じものだ」と。

 

その作品はそう、「フリーランニングRPG」と銘打たれ、その名に恥じない走り回る楽しさを提供してくれた『ロックマンDASH 鋼の冒険心』だ。

このゲームでは『神々のトライフォース』と同じく、一見無意味と思われる行為に勤しんだ。ロックの人間離れしたジャンプ力で民家の屋根から屋根に飛び回り、道に落ちた空き缶を蹴り飛ばし、道路に飛び出して車にひかれては島民を困惑させた。私がカトルオックス島を縦横無尽に駆け巡るロック・ヴォルナットにかつて『神々のトライフォース』で光と闇の世界を冒険したリンクの姿を重ねたのも無理はない。

 

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冒険の舞台は3Dで描かれた世界へ広がっていく

 

3DRPGの基礎を作り上げた偉大なタイトルといえば、誰もがニンテンドー64で発売された『ゼルダの伝説 時のオカリナ』を挙げることだろう。このタイトルが後のゲームに多大なる影響を与えたことからもその認識は圧倒的に正しい。それでも私に3D箱庭世界での探索と冒険の楽しさを教えてくれたのは『時のオカリナ』よりも1年近く早く発売された『ロックマンDASH 鋼の冒険心』であった。たとえ、3Dダンジョンに落とし込んだ謎解きの質、当時のハード性能で空気感まで表現したグラフィック、オートジャンプに代表される3Dの課題の解決策で『時のオカリナ』が大きく上回っていたとしても私にとってこの時代に真に心に刻まれたタイトルは『ロックマンDASH』に他ならなかった。

 

 

■『風のタクト』の示した新たな可能性と犯した失敗

2001年春、スペースワールド(2017年末にて閉園し28年の歴史に幕を閉じた)のイベントにてゼルダの伝説の正当な続編タイトル『ゼルダの伝説 風のタクト』はお披露目された。

 

風のタクト初お披露目。ゼルダシリーズのメインテーマを強調し、これが新しいゼルダだと主張する

 

トゥーンレンダリングで描かれた新しいゼルダの伝説。キャッチーで明るいグラフィックは重厚でシリアスな物語を描ききった『時のオカリナ』とはまったく別のアプローチを行うという決意がひと目で見て取れた。当時、PS2を買うこともなくゲームもそれほど遊ばなくなっていた私にとってもこのグラフィックから受けたインパクトは絶大で、この作品が発売されるニンテンドーゲームキューブは絶対に買うぞと決意させるほどだった。

 

その年の9月に発売されたゲームキューブをすぐにゲットしてからは『どうぶつの森+』や『スマッシュブラザースDX』といったソフトを楽しみながらも、公開されたトレーラーを何度も見返し、制作者のインタビューからどんなゲームになるのかと期待を膨らませ続け、ネットの掲示板では見知らぬゼルダファンたちと意見を交わしあい、発売を心待ちにした。そしてとうとう迎えた2002年の12月、PS2に押されセールスの振るわなかったニンテンドーゲームキューブの命運を握るソフトとしての重責を背負わされ、この作品は発売された。

 

当時のインタビューでプロデューサーの宮本茂氏が「ゲームの世界に触れられることを実現した」といったことを喜びとともに語っていたことを覚えている。果たして『風のタクト』はその通りの作品に仕上がっていた。猫目の愛くるしいリンクが海から上がれば服から水滴がしたたり落ち、敵キャラクターのモリブリンの手から武器を奪えばモリブリンが狼狽するのが見て取れて、頭にツボを載せたノンプレイヤーキャラクターのツボを攻撃すればツボは割れ、そのキャラクターが悲しみそんな行為をしてしまった罪悪感に苛まれた。“生き生きとしたキャラクター”という言葉はこのゲームのためにあったのだと思わせてくれた。『神々のトライフォース』や『ロックマンDASH』で私を感動させた“ゲーム側からのレスポンス”はトゥーンレンダリングという表現を手にし、それまでのどんなゲームも到達しえなかった領域にまで到達したかのように思えた。

 

しかし、いかに優れた手触りと実在感を備えていても、そのゲーム自体がユーザーを強く惹きつけるものでなければ、宝の持ち腐れである。『神々のトライフォース』も『ロックマンDASH』も『時のオカリナ』もメインのシナリオ進行に引き込まれ、だからこそゲーム側からの応答を心から楽しみ、よりその作品を好きになっていけるという好循環故に語り継がれる名作となった。

 

風のタクト』はそれらの名作と肩を並べるにはあまりにも多くの問題を抱えていた。『時のオカリナ』から大きく減らしたダンジョン数、あまりにも広大な海に用意されたあまりにも少ないコンテンツ、プレイ時間の水増しと捉えらるのも無理はないトライフォースのかけら集め、何度もここで新ダンジョンかと思わせて期待を裏切るストーリー構成。『時のオカリナ』や『ムジュラの仮面』での緻密さが嘘のように、一ゲームファンから見ても、ずさんな作りや構成が目立ってしまった。

 

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大海原の冒険にロマンはあったが大航海の果てに得られるものは少なかった

 

その頃任天堂を追いかけていたゲームファンはなぜこの作品がユーザーの感情に配慮しない構成となり、コンテンツが不足し、マスターソードを手にした後盛り下がっていくようなものになったか理解できると思う。上でも書いたが、当時の任天堂ゲームキューブの販売に苦戦し、対抗馬であるPS2に食らいつくために、なんとしても年末の商戦期に『風のタクト』を出す必要があった。高い評価を受けながら何度も発売延期を繰り返し世に出るころにはハードの敗北が決定的となっていた『時のオカリナ』及びニンテンドー64の二の舞にはならないという思いがあったのだろう。発売後まもなくニンテンドーDreamという雑誌で任天堂の広報が珍しく売り上げに言及しぼやいていたのを鮮明に覚えている。「(国内70万本のセールに対し)本当はすぐに100万本いっててもおかしくないんですけどね」と。要するに『風のタクト』はハードの販売競争のために納期が優先され、細やかな調整や実装すべきコンテンツを諦めて世に出された未完成品だったのである。ユーロゲーマーのインタビューで宮本茂が「ジャブジャブ様の所にダンジョンがある予定だったが時間が足りなくてカットした」と発売後に語っているのを目にした時はインターネット掲示板の仲間たちとともに「やっぱりね」と深いため息をついたものだった。

 

偉大なグラフィック表現と(ゼルダの伝説に求められる水準としては)平凡なゲームプレイ。ともあれ、ニンテンドーゲームキューブを普及させるという使命にも失敗し、ゲームの評価としても平凡なものとなった同作品は、トゥーンレンダリングの表現自体にも疑義を生むこととなる。私はといえば『風のタクト』は惜しい点が数えきれないほどもあるが、トゥーンレンダリング自体の表現は素晴らしいものであり、これからどんな進化をしてくのかと希望をもっていた。フォトリアルの追及ばかりではつまらない。デフォルメ表現をさらに進化させた次なるタイトルの誕生を心待ちにしようと。

 

しかし、そんな淡い期待は打ち砕かれることとなった。それも他ならぬ『ゼルダの伝説 風のタクト』の続編によって。

 

 

■熱狂で迎えられた『トワイライトプリンセス』ともたらした失望

忘れもしない2004年のE3。今年の任天堂はすごいぞとまことしやかに囁かれた。ゲームメディア大手のIGNは任天堂のプレスカンファレンス前には今年の任天堂の発表を見たらお前らこうなるぜと ↓ のような画像を掲載し期待を煽った。

 

 

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有名な外人4コマの元ネタは2004年のゼルダの発表に関する画像

 

 

そして事前の噂どおり、任天堂ファンが狂気する発表が行われる。『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』は万雷の拍手と絶叫の中で迎えられた。それはまさにゲーム史に残る名作中の名作『時のオカリナ』の正当な進化と確信するに十分な映像であり、『風のタクト』に失望したゼルダファンの留飲を下げるインパクトをもったものだった。

 

リンクの登場でヒートアップし宮本茂氏の登壇で絶頂を迎える。“ファンに求められた”続編の発表だった

 

私もリアルタイムでこの発表を見ていたが、外人の盛り上がりはそれはもうものすごいものだった。私も地平線からゆらめく敵の影や馬で駆けるリンクの雄姿に興奮しないではなかったが(宮本茂氏の登場にも)、それ以上に画面の外人たちの盛り上がりが大きくなればなるほどそれらを冷めた目で見つめる自分の存在も自覚していた。フォトリアル寄りに描かれたリンクとハイラルは、風のタクトで見せた驚異的なグラフィックと比較して表現的なふり幅がとぼしいとわかっていたからだ。乱暴な言い方ではあるが『トワイライトプリンセス』は『風のタクト』で示した新たな表現の地平を否定し、既存のファンに迎合したつまらない作品に思えた。これにははっきりと失望した。『風のタクト』の商業的な失敗で任天堂は挑戦することを諦めてしまったと。

 

ゲーム自体の出来はというと、前作の『時のオカリナ』の進化と呼ぶに妥当な傑作だった。ゲームキューブ最後のタイトルになると同時に新ハードのWiiのロンチタイトルとなった『トワイライトプリンセス』 は十分な開発期間が与えられ、世に出ることになった。複数のエリアで分断された『トワイライトプリンセス』の世界は『時のオカリナ』ほど広大な平原を駆け回る喜びを与えてくれなかったものの、攻略しがいのあるダンジョンや、スピナーやハンマーに代表される創意工夫のある新アイテムで楽しませてくれた(通販限定販売のゲームキューブ版を買いましたとも)。

 

だが、ゼルダの伝説の新作を楽しみながらも私の心には釈然としない思いがずっと存在していた。『トワイライトプリンセス』は『風のタクト』からの明確な後退であるとの発表時に抱いた認識はプレーを経てより強くなったのだった。

 

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“ファン”が望んだのは時のオカリナの進化だった

 

 

■濃密ゼルダこと『スカイウォードソード』が示したシリーズとしての閉塞感

2011年Wiiで発売された新作『ゼルダの伝説 スカイウォードソード』はWiiリモコン+を採用し、操作面での目新しさを打ち出した、水彩を交えたような柔らかいタッチは魅力的ではあったが、SD画質のWiiのソフト自体、HDテレビの普及や高性能なライバルハードのPS3XBOX360のソフトの充実もあって、ややチープな印象はぬぐえなかった。

 

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Wiiリモコン+を使用したWiiらしいソフト

 

Wiiリモコン+を使用するというコンセプトの他に本作は“濃密なゼルダ”とすることが至上命題とされ、“濃密”というキーワードは公式のインタビューで繰り返し使われた(社長が訊く『ゼルダの伝説 スカイウォードソード』。 

濃密の旗印のもと今まで解放感を提供してきたフィールドは何度も訪れる場所と設定され、何度も訪れるに足る飽きさせない、よく言えば創意工夫に満ちた、悪く言えば複雑で窮屈な作りとなっていた。

 

ゼルダの伝説といえば謎解きの詰まったやりごたえのあるダンジョンと、開放感のあるフィールドのメリハリがシリーズの特徴だったが、スカイウォードソードはあろうことかフィールドのアスレチック化を進め、フィールドとダンジョンとの境目を希薄なものとしてしまったのだ。確かにパズルの質と量は充実し、Wiiリモコン+の機能を活かして新鮮な遊びがたくさん詰め込まれていた。しかし、常時パズルに支配され息がつけない状況は制作者側にとってはコントロールしやすいのだろうがユーザーからすればたまったものではない。とにかく遊んでいて窮屈な作品だった。

 

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濃密なフィールドに解放感は存在せず実在感のない記号的な存在に

 

もちろん『スカイウォードソード』がこうならざるを得なかった理由もよくわかる。特に『時のオカリナ』以降、ゼルダと言えば難解な謎解きとダンジョンでそれが常に求められてきた事情がある。そこが他の大作でも真似のできないところであり、ゼルダアイデンティティであった。単純なステータスアップによる成長を頑なに避け、差別化してきたゼルダの伝説が、自らのアイデンティティである謎解きにフォーカスするあまり、結果的に内に内に閉じていく窮屈な作品になったのは必然でもあった。ゼルダの伝説は自らが作り上げたシリーズものとしての制約に縛られもがいていた。

 

かくしてゼルダは『風のタクト』で見せた表現の可能性の扉を自ら閉ざし、続いて多くのプレイヤーを魅了した探索と冒険の醍醐味まで捨て去った。探索と冒険の欲求はスカイウォードソードの発売から数週間後、スカイウォードソードよりはるかに大きな期待をもって発売日を迎えたTESシリーズ第5作『スカイリム』等、数々の優れたオープンワールドゲームによって満たされ、スカイウォードソードに対する失望は『トワイライトプリンセス』の時とは違い大したダメージにもならなかった。世界は偉大なゲームであふれていた。ただ、2002年に『風のタクト』で示された可能性だけが心残りだった。

 

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2018年現在、Switch版やVR版で未だに注目を浴びる『スカイリム』。TES6はいつになるんだ。

 

■そして『ブレスオブザワイルド』

スカイウォードソード』に続くゼルダの伝説最新作。2014年に映像が公開されたそれは前作『スカイウォードソード』とは異なる広大なフィールドを持つことが宣言され、温かみのある美しいグラフィックは私に再び関心を抱かせる十分だった(なにせ当時の大作はフォトリアルな映像と暗くてジメジメした世界を描いたものばかりだった)。

 

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草原に馬上でたたずむリンク。はやくこの世界を冒険したいと思った。

 

後にブレスオブザワイルドのサブタイトルが冠されるこの作品が並々ならぬ意欲をもって開発されていることはファンにも伝わった。映像が公開される前年にはゼルダのアタリマエ(お約束)を見直すことを公表し、当初発売予定としていた2015年には発売延期の告知を行い、「もっとも完成度の高い究極のゼルダゲームにすることを第一優先とする」と宣言した(2015.3.27 Wii U『ゼルダの伝説 最新作』開発状況に関するお知らせ  )。

 

ゼルダのセオリーを大胆に見直すことを不安視する意見も多くみられたが、私は期待とともにその方向性を支持した。ゼルダの、ダンジョンを順番通り攻略してストーリーを進めることやお約束の成長要素でゲームを作ることに限界が来ていることは明白だったから。

 

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(2013.1.23のNintendo Directから)

 

一抹の不安もなかったわけではない。ゼルダが採用したオープンワールドは前述のTESシリーズやグランドセフトオードシリーズを始め、数々の名作が世に生まれ洗練されてきた。今まで他に真似のできないゲームデザインで評価されてきた孤高の存在であったゼルダの伝説が他の作品に追随してきたようにも見えたからだ。『ブレスオブザワイルド』の表現したオープンワールドを「オープンエアー」と命名した任天堂を「周回遅れの技術を独自用語で呼びたがるのは任天堂の悪癖」と揶揄したクリエイターがいたが、『ブレスオブザワイルド』発売前の当時を取り巻く状況としては無理もない反応だったと思う(この方は『ブレスオブザワイルド』発売後、数々の課題を解決し傑作に仕上げたこの作品を大絶賛しています)。

オープンワールドゲームは既に世に出て10年以上の下地があり、近年は「クエストのためにマーカーを移動するだけ」というオープンワールドの限界を示すような批判も出てくるような状況だった。

 

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ウィッチャー3は海外ドラマさながらのシリアスなストーリーの質と量で問題に立ち向かった。

 

オープンワールドがオープンなだけで評価される時代は終わりを告げ、いかにそれをゲームに落とし込むかが求められるそんな中、『ブレスオブザワイルド』は満を持して登場した。

 

■どこまでもいける世界、そして触れられる世界。ありがとう『ブレスオブザワイルド』

いよいよ発売された『ブレスオブザワイルド』にいかに魅了されたかは冒頭のとおり。

 

『ブレスオブザワイルド』は前述のマーカーを追いかける遊びという課題を視覚的に興味を惹くシンボルをマップに配置し、ユーザーに自発的な移動を促し、目的地だけでなく移動の課程にコログや新たな試練の祠等、思いがけない発見を仕込むことで移動自体を目的とすることに成功した。広大な海を孤独に航海する「風のタクト」とは異なり探索に対する見返りが用意された本作はプレイヤーに「この世界を知り尽くしたい」と冒険に駆り立てるさせるに十分だった。

 

そして、他の並みいる大作や『トワイライトプリンセス』や『スカイウォードソード』が成しえなかった手触り感。それがゼルダに帰ってきた。『ブレスオブザワイルド』に用意されたアクションは決して多くない。使用するアイテムも従来シリーズからすれば少なくゲーム中に機能のアップデートはあるものの、ゲームの冒頭に手に入れる基本的なアイテムを組み合わせてゲームを進行する。

だが、アクションは限られてもアクションに対するリアクションはこれまでのシリーズと比較にならないくらい豊富だった。たいまつを持てば氷が溶ける、丸い球にむかって武器を振れば転がっていく、ビタロックで丸太を遠くに吹っ飛ばす、敵の武器を奪えば敵が悔しがる、眠っている敵を起こせば戦いのためにまず武器を取りに走る…謎解きやゲームの進行といっさい関係ないレベルで自分の行動にゲームが応えてくれることのなんと喜ばしくて大切なことか。かつて『神々のトライフォース』で知り、『風のタクト』でその先に思いを馳せた「ゲーム側からの応答」が再び私の前に現れた。それも信じられないくらい高い次元で。

 

 

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サブタイトルどおり世界の息遣いを感じれるブレスオブザワイルド

 

私が求め続けた「世界が広がる喜び」と「その世界からの応答」がようやく3Dとなった新作のゼルダの伝説で実現した。『トワイライトプリンセス』で失望し『風のタクト』の可能性を惜しんだ当時の自分。その時に抱いた失望と寂寥はかくして『ブレスオブザワイルド』に救われた。このように誠に勝手ながら『ブレスオブザワイルド』は『トワイライトプリンセス』の発表を冷めた目で見た当時の自分の感覚を全肯定し救ってくれた記念碑的な作品であるととらえている。『ブレスオブザワイルド』を知らない10数年前の自分に教えてあげたい。「安心しろ。お前を肯定してくれるゼルダの伝説は必ず現れる」と。

 

私の既存タイトルファンにとって大変失礼で身勝手な体験は別としても、この素晴らしい作品を世に出してくれたスタッフの方々には感謝してもしきれない。世界中からの賛辞とは別に私からも感謝の気持ちを伝えたい。「ありがとう『ブレスオブザワイルド』。ありがとうすべてのこれまでのゼルダスタッフ」と。

そして『ブレスオブザワイルド』を楽しんだ世界中の仲間たちも同じ思いでいることと思う。本当に面白かったよなこのゲーム!ネットのみんなも顔を合わせることがあれば、『ブレスオブザワイルド』の素晴らしさを存分に語り合おうな!

 

最後に、私も強く首肯した本作のプロデューサー青沼英二氏の言葉を引用して結びとしたい。

 

最後にユーザーのみなさんにお伝えしたいことは、『ゼルダ』というよりも「ゲームってまだまだいけるでしょ!」ということですね。

((ゼルダの伝説マスターワークスP413))))

 

次のゼルダの伝説の開発は既に動き出しているそうだ。次なるゼルダがどのようなものを見せてくれ、また『ブレスオブザワイルド』に刺激を受けたクリエイター達が私たちにどんな素晴らしい驚きを与えてくれるか、まだまだ楽しみは尽きない。そんな思いを抱かせくれた『ブレスオブザワイルド』、この偉大なゲームに出会えて本当に良かった。(了)